なつかしい仙台
今日は朝から仙台出張でした。小雪がぱらつきとても寒い!宇都宮の比ではなかったです。
一応ご挨拶で昼食です。お約束の牛タン定食1500円
仙台の思いでについて一言・・
起業のために前職を退社したのが1999年、それからビジネスプラン練ったり・いろいろな場所に顔を出しビジネスチャンスを模索していました。
2000年に東京のベンチャー企業と提携ができて個人事業でパソコンオンサイトの仕事をいくつかの事業の柱の1つとして始めました。少しすると提携先から連絡があり立ち上げ間もない仙台支社がピンチなので助けてくれないか?との打診があり2か月ほど助っ人で杜の都仙台に降り立ちました。未知らぬ土地でパソコンオンサイトのデビューをすることになったのです。
私はスキー狂でしたので東北のスキー場はよく足を運んでいましたが都市部はほとんど立ち寄ったことが無く仙台のイメージは小学校のころ聞いた「青葉城恋歌」(古くてすみません・・)くらいのものでした。東北自動車道を20万円で買ったぼろいタウンエースでMISAの「2000CLUB・LEMIX」(度々古くてすみません・・)を聴きながら北上したのを覚えています。
当時お金を節約していたので提携先の寮生活でした。その建物はむかし予備校の寮だったところを借りていたもので、2畳くらいの部屋でベットと勉強机しかないお粗末なものでした。風呂は寮の温度調整の悪いシャワー
でも当時はそんなことは全然お構いなし!自分の目標にまっしぐらでしたから苦労したなんて感じたことは1度もなかったですね。気持ちを例えれば・・大学入学前にアパート探しを父親と都内出かけた時のような新鮮な気持のような
仙台生活がスタートするわけですが・・
まず第一のカルチャーショックが発生しました。これは「半田屋」の存在でした。
第二章に続く・・・続きはまた明日にでも書きます
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